アリスのぶろぐ

反復性うつ病、強迫性障害、産後うつ。精神のこと、キリスト教のこと、色々書きます。

出産レポ

私は2021年1月の16日に予定日通り出産しました。
そのときのことを記事にまとめようと思います。


○予定日前日、15日。○
朝からなんだか不定期な陣痛が来ていた。
間隔を測ると、5〜8分。
恐らく前駆陣痛だと思ったので、そのまま様子見する事に。
昼の14時頃にはおさまったので、普段通りに買い物をして帰った。
夜、ご飯が終わってゆっくりしているとまた陣痛が来て、感覚を測ってみたら4〜5分。
産院に電話。
「病院にきてください。もしかしたら入院になるかも知れないので、念のため入院の準備をしてきてください」と言われた。
産院に着いたのは23:50頃。
何故か手術室兼分娩室に通される。NSTが始まり、30分後
「5分間隔だから入院してもらって良いと思う」と助産師が話していた。
そのまま入院。
慣れない産院の個室で寝れる気がせず、結局寝れたのは2時頃。


○予定日、16日○
明け方、急な腹痛で目が覚めた。
寝ていられないほどの激痛。
トイレに行って股を拭くと、血混じりのおりものがペーパーについた。
それからどんどん強くなって行く痛み。本格的に陣痛が始まったのでした。
そこからはもう大変だった。
下痢の時の腸の痛みを30倍にしたような猛烈な痛みが定期的に襲ってくる。
途中で耐えきれず、院長が出勤する9時には助産師に「無痛に切り替えたい」と伝えたのですが、無痛分娩の硬膜外麻酔をしてもらえたのは、11:00〜11:30頃だったと思います。


陣痛中、夫とLINEでビデオ通話をしていました。
夫は朝から出勤。陣痛が痛すぎるから無痛にする、と伝えると職場から電話をかけてきてくれました。
「そんなに痛いの??どんな感じなの?」
下痢の時の腹痛を30倍にして、そこに腰痛をプラスしたような感じだと言ってみたものの、伝わらず。
私の表現力が乏しいせいなのか、男性にはわかりづらいだけなのか。
夫は朝から熱があったらしいのですが、陣痛が来るたびに耐えきれず声を上げる私を画面越しにみて、心配すぎて体調が悪くなっていったらしい。
私が硬膜外麻酔を受け、病室に戻った頃には、夫は早退を決め、昼には帰宅したようでした。



【硬膜外麻酔】
処置は分娩室で行われました。
分娩台の上で横になって背中を丸め、動かないようにと指示されます。
でも陣痛は来るわけで、当然痛いので動いてしまう。しかも麻酔のカテーテルを通す瞬間の痛みは陣痛を凌駕する程の激痛で、動くなと言う方が無理。
最終的に、分娩台に座った状態でやる事になりました。
だが悲しいかな、私の背骨は若干左に曲がっているので、引っかかってなかなかカテーテルが入らない。言おうかどうか迷ったが、痛みでそれどころじゃない。
医師も2度刺して失敗したときに気づいたらしい。処置中に動いたことで散々文句を言われたものの、状況を把握し、3度目で的確にカテーテルを通したその技量は素晴らしいもの。
その後は麻酔液の原液をまず3cc注入し、脊髄ではなく硬膜外にカテーテルが入っているか確認。
問題がなかったので規定量の30ccまで注入され、部屋に戻されました。
足に力は入らなくなっているので、分娩台から降りるのに助産師さん3人ほどに支えてもらい、キャスター付きの丸椅子に座って病室まで押してもらって。
血圧計と痛い時に麻酔液を注入するための機械、点滴をぶら下げる棒?台?がベッドで私の周りに置かれました。
しばらくして「無痛分娩だと陣痛が弱くなりがち。なので、促進剤を使いますね」と助産師さん。
もう麻酔もしっかり効いているし、陣痛促進剤を使っても痛みは感じませんでした。


麻酔が効いてしまえば、もう定期的に襲ってくる痛みに耐えることもない。
病室に戻ってしばらくは夫や友人にLINEをしたり、SNSに「今日産まれるよ!」と投稿していましたが、夜中に入院して気が張っていたのでしょう、すぐ眠くなりました。
(ちなみに、麻酔が効くと足に力が入らず1人では立ち上がれないので、おトイレは行けません。定期的に導尿してもらうことになります。)


しばらくして、助産師が様子を見にきます。
無痛分娩の場合、胎児の心拍数や血圧、妊婦の状態などを定期的に確認する必要があるからです。
助産師から説明され、陣痛促進剤を打つことに。その後、子宮口が6cm開いているのを確認して退室して行かれました。
促進剤は痛いと聞いていたけれど、硬膜外麻酔が効いているのか、出産まで全く痛みは感じなかったです。


そして、午後16:30ごろ。
院長と助産師がやってきて「もう8cmまで開いているから、分娩台に上っちゃいましょう」と言うことで、分娩室に行くことに。
分娩台に乗って、30分ほど経ったでしょうか。
また鈍い痛みが襲ってきたのです。
院長に言うと「ちょっと麻酔が切れてきてるんだね。カクテル(薄め液)じゃない原液を追加で打つからね」と、追加で打ってくれました。
すると驚くほど一瞬で痛みは彼方に消え去り、私に平穏が戻ります。
そこからはよく覚えていないです。
しばらくぼーっとしていたら、院長が「子宮口10cm!最大だよ!」と言ったのを皮切りに、室内が慌ただしくなりました。
股の下にシートが広げられ、看護師が待機。
助産師さんは台の上に乗り、私のお腹の上に手をおいて押し出す準備をしていました。
「今陣痛きてるのわかります??」
「いえ、わかりません」
「じゃあ、いきんでって言ったら思いっきりいきんでくださいね」
こうしていよいよ分娩が始まりました。



【分娩(終章です)】


いきんで!と言われるたびに、トイレで大便を押し出す時のようにお腹に力をこめて、息を止める。
「ふん…ふんっ!」という感じ。
それを何回か繰り返していると、院長がハサミを手にとったのがわかりました。
え、会陰切開…?こんな早くするものなの…?と思っていたら。
院長の隣にいた看護師が「そんな急がなくても…」と言ってましたね。
のちに聞いてわかったことだが、分娩室に入る必要のある、もう少しで生まれそうな人がもう1人いたらしいのです。そのため早く産ませようとしていたよう。
シャキ…っと切られる音がした。痛みはなし。
そして次に院長が手に取ったのは…おそらく吸引機。
何度かいきんで、助産師さんにお腹を押してもらって…を繰り返して5回目ほどで、、、
「「「おめでとうございます」」」
と言われた。
泣き声はまだ聞こえませんでしたが、自然と涙が溢れた。やっと生まれてくれた!という感じ。
しばらく心配そうに見ていると、身体を拭かれて目が覚めたのか、大泣きし始めました。
また安堵で涙が溢れます。


私と息子の処置が終わった後、助産師さんが息子を隣に置いて写真を撮ってくれました。
この写真を見返すたび、この出産を思い出すことでしょう。
産まれたばかりの息子は、夫に似てとても愛らしかったです。
会陰マッサージの努力虚しく切られてしまったわけですが、、無事産めたこと、産まれてきてくれたことに感謝して生きていきたいと思います。


本当に夫と結婚して良かったし、大変な思いをしながらでも産んで良かったと思えてます。
愛する夫と息子が、健やかであるように祈りながら。

私がカトリックに繋がった不思議なお話

(母は産まれた時、祖父が自衛隊員のため転勤で札幌にいたそうな。)

祖母は母がお腹にいた時、助からないかもしれないと言われて、祖父の自衛隊のツテで札幌の天使病院にどうにか入院させてもらい、無事に産まれたとのこと。

天使病院は現在はカトリック系ではなくなってしまったものの、当時はカトリック系病院で、看護師さんはシスターの格好をしていたそうな。

そして母は昔からカトリックの病院で産まれたと散々聞かされていたそう。そして大人になってから、マザーテレサの事を知り大いに感動。

結婚し、産まれた私にもマザーの本を買って読ませるほど。


そして私は修道女に興味を持ち、高校生の時にプロテスタント教会へ。そして何かここは違うなぁと思い、調べてみるとマザーはカトリックの人だったとわかる。

そして高二の時、初めてカトリック教会へ。

貰ったパンフレットに書いてある「主の祈り」「アヴェ・マリアの祈り」を暗記して日々お祈り。


そして成人してからは神社に興味を持ち色んな神社へ行く。22、3歳頃に悪いことが重なりすぎてカトリック信者になりたいと強く思い、高2の頃に行った教会へ。

しかし勉強会に毎回参加できず、神父さまからイースターでの洗礼は無理だと言われる。

そしてイースターの後、新しく来た神父さまが外国の方で、なかなか癖のある喋り方だったためミサ中に笑いが堪えられず退出する。

この人に勉強を教わっても、多分頭に入ってこないだろうと思い(かなり失礼)、何度か行ったことのある東京カテドラルに友人を誘って行ってみることに。

たまたまシスターの講座が始まったばかりなのを知り、参加してみようと言うことに。


そして毎週日曜日に友人と通い続け、2020年のイースターに洗礼予定に。

そこでコロナが流行り出したため洗礼式はどんどん日延べされていく。

教会側もこのままではいかんと言うことになったようで、一時的にコロナが収まっていた2020年7月、無事洗礼と堅信を受けることができた。


ちなみに、私に信仰のキッカケを与えてくれた母だが、今はどこの宗教にも属していない。(元々仏教系の学校に通い、結婚してからは父の姉に無理やり創価学会に入れられるが、離婚後に数珠を平和会館に返す。)


ただ、一緒に教会に行くと女子パウロ会の売店でいつくしみのイエスやらマリア様の御絵やら買って、テーブルに飾っている。

私は、母がカトリック系の病院で産まれたときから、私がカトリックの信仰を持つように導かれていたような気がしてならない。

母自身、キリスト教系の絵画などは昔から好きだったらしい。


もしこれがお導きなのだとしたら、なかなか不思議な繋がりだなぁと思う。

母は今のところ全くクリスチャンになるつもりはなさそうだが、いつか心変わりしてクリスチャンになってくれるといいなぁなんて思っています。

はじめまして!

反復性うつ病と診断されていて、治療中のアリスと言います。


虐待サバイバーで、一才半の息子と、夫と暮らしています❤️
(親との関係は現在は良好)
大人になってから改宗したカトリック信者(今話題の統一教会とは一切関係ありません)です。


元々はnoteで記事を書いていましたが、ムラゴンにお引越ししてきました。
精神のことから、キリスト教のことや修道会のこと、育児や日々のことまで幅広く書こうと思っていますので、よろしくお願いします✨